履歴書

記憶という糸

赤ん坊がおぎゃあと生れた瞬間 周りの大人たちは新しい仲間を大きな愛で歓迎します

でも果たして歓迎されている赤ん坊そのものは この世に生れ出たことを喜んでいるのでしょうか

私は物心ついた頃から 生きていることに居心地の悪さを感じていました
それはまるで目の粗い麻のシャツを素肌に纏っている感じとでもいったらいいでしょうか


ごわごわしてなかなか肌に馴染もうとはしない麻のシャツのように
日々の営みは不快感とまではいかないけれど
私の神経を妙に落ちつかなくなくさせたものでした
泣いたり笑ったり怒ったり・・
そんなごく当たり前な感情表現にさえぎこちなさを感じるのです

同時に、一日のうちに何度も自分がどこの誰なのかが曖昧になる瞬間がありました
「ヘンな子だよ!
手をじっと見るんなんてよしなさい
気持ち悪がられるでしょ!」
またしては手の甲をいつまでもじっと見つめ続ける私を
よく母や祖母は叱ったものでした
けれどまだほんの子供で手鏡を持ち歩くような年齢でもない私にとって
それぐらいしか自分の肉体がここにちゃんとあるのだと確認する術はなかったのです
「これが"今"の私の手」
なぜだかいつも心の中で そっと自分にそう言い聞かせていました

自分が誰なのかがひどく曖昧になる瞬間
決まっていつも私のまぶたの裏には同じ映像が映し出されていました
そしてその映像の中に登場する人物の中に、"別"の私がいたのです

その光景の中の"別"の私は 天蓋付きの白いベッドに横たわっています
ベッドがあるのは二階の一部屋で 
ベッド脇の窓は大きく開かれてるのか白くて薄いカーテンが大きくゆらぎ
ベッド脇のテーブルにかけてある白いテーブルクロスもゆれていました

ベッドに横たわる"別"の私の枕元には
聖書を片手にした司祭(根拠はないが神父ではなく司祭)らしき人物がいて
そのすぐ後ろにひげを生やした中年の男性と
その男性に寄りかかってレースのハンカチで涙をぬぐっているすその長いドレスを着た中年の女性がいます
"別"の私も司祭も見知らぬ男女も すべて日本人ではありませんでした

幼い頃の私には
何度も何度も突然まぶたの裏に浮かび上がるその光景が
何を意味しているかはわかりませんでした

ただその光景が浮かぶたびに
頭の中に靄がかかったようになり
自分という存在がひどく曖昧になるのでした
「アタシは誰?」
「ここはどこ?」
冗談でもなんでもなく 本気でそう感じる瞬間がやって来るのです

私の幼い頃のsの体験は 前世の記憶なのだろうか・・・
ヒプノセラピーを仕事として行うようになって そう感じるようになりました

真実かどうか証明されたわけではないけれど
諸説によると人は何度も生まれ変わるのだとか
そして生まれ変わるたびに
過去の人生の記憶を消され
また白紙の状態で新しい肉体で新しい人生をやり直すのだとか

ひょっとして幼い頃のあの体験は
"今"の私になる前の人生の終わりの瞬間の記憶が
何かの手違いで私の記憶の中に残っていたのではないでしょうか

私のまぶたの裏に登場する"別"の私は死の床にいたのです
そして司祭から死ぬ間際のキリスト教の儀式を施されていたようでした

気になったので、今キリスト教の臨終に関する儀式について調べてみたところ
どうやら"別"の私の前で繰り広げられていたのは 終油の秘蹟のようでした
終油の秘蹟とは
死に瀕した信者が安らかに天国へ召されるために神父が枕元で行う儀式のこと

その光景の意味するところを 何らかの方法で今までに調べたことはありません
けれどそれがもし前世の記憶のかけら
或いは前世と今世の私をつなぐ糸だとしたら
それを手繰っていくとどんなことに行き着くのだろうか。
自己催眠を使って 私なりに感じてみることにしました

子供の頃やもっと若かった頃に比べたら遥かにましになったとはいえ
今も私は時々"今"の自分の姿にぎょっとすることがあります
街を歩いていて 或いは家の中で 不意に鏡に映った自分の姿を見て
「誰?こいつ。」
と驚くのです
「あっ、私か・・・」
一瞬置いて これが"今"の私の姿だったのだと納得する。

だからまぶたを閉じて
子供の頃頻繁に見たあの光景を思い出してみるのは簡単なこと

「ああ・・退屈でつまんない人生だったなあ」
かつての光景を思い浮かべた瞬間
不意にそんなつぶやきのようなものが 私の頭の中に響いて来ました

"別"の私はまだ十代半ば
小さい頃からずっと病気がちで
他の子供たちのように外で遊んだり
学校に通ったりすることもできなかったようでした

友達といえば 本と二階の自分の部屋の窓の外に立っているすらりと高い樹
それからその樹にやって来る鳥やりすぐらいもの
おなかを抱えて笑うようなおかしいことも
心をときめかすような出会いも
はらはらドキドキするような体験もないまま
自分の部屋という小さな世界しか知らずに人生を終えようとしているようでした

だからなのでしょうか
"今"の私の人生が少々波乱万丈なのは
"別"の私が 次の人生では出来るだけたくさんのことを体験したいと願っていたから?

だとしたら、"別"の私に言ってみたい
『今回はけっこうたくさんはらはら・どきどき・わくわく・がーんって
色んな体験できたしょ?
そろそろ穏やかでやさしい時間を過ごさせてもらえないかな?
ねえ、まだダメ?』
と・・・
 

人生という名のシナリオ

スピリチュアルな世界の考えたの中では

人は
どんな親の元に生まれて どんな風に生きていくのか
自分の人生の青写真を製作してから生まれてくるという考え方があるのだとか

また死れ以外にも
人生とは魂の修行の場であり
様々な困難や苦労を通じて、魂を磨くという考え方もあるとのだとか

「なんで?!」
悲劇のヒロインになるつもりはさらさらないけれど

愚痴のひとつもこぼしたくなるような私の人生


かっこよく言うとドラマティックな
いじけて言うと苦労の多い人生も
自らの意思で決めたものってことになるでしょう

「なんで?!」
って体験を通じて
私は自分の魂を磨いて来たのでしょうか


何にせよこういう生き方をしよう!と
生まれる前に、私が自分で選んだのだとしたら
私はよほど向上心の強いチャレンジャーか
マゾではないかと思ってしまうのです


赤ん坊の頃 父親が蒸発しました
心身の虐待も体験しました
たったひとりの肉親の母親も若くして癌で亡くしました

そしてこれはここで初めてカミングアウトするのですが
私自身も2005年に癌になり
現在は手術から5年後の完治宣言を待つ保護観察中の身の上です

その他にも 登校拒否やいじめや心身症などうんざりするほどある過去の苦痛を伴う記憶
それを引っ張り出したところで
もう一度その時点に戻って、過去をやり直すことは出来ないし
それこそマゾヒズムの最たるものだと思うから
あれこれ言わないことにしました

ただ小さい頃から
不思議と私はこんな風に思って生きて来ました

「この苦労を乗り越えたら
きっと私はもっとビッグになれる!」

何か根拠があってのことではありません
それに苦労をひとつ乗り越えても
ビッグになったのは体型だけで
(私は20歳を過ぎるまで、超肥満児でした)
別に何が現実が大きく変わるとか
心のあり方に変化があったとは思えません

でも私の心の根底に
それは今も変わらずずっと根付いているのです
「この苦労を乗り越えたなら
きっと私はもっとビッグになれる!」

と同時に
苦しい時も、ひとりではないという感覚がありました
というより
「これは、マジやばいっしょ!」
というような状況に置かれても
必ず思いもかけない救いの手がどこから現れて
大事に至らずに今日までやって来たのです

「人間は自分の力だけで生きているのではない」
「目には見えない人知を超えたある大きな力に護られている」
その思いは、信念となって私の中にしっかり根付いています

そしてそれが14年前の心身症をきっかけにして
目に見えない力を否応なしに認めざるを得ない状況に追い込まれたのです
神という存在が間違いなくある・・と
ただしそれは、様々な宗教を超えた宇宙の根源意識としての神

ただ神はあまりにも偉大で
ちょっとしたことで腹を立てたり
誰かを憎んだり妬んだり
些細なことですぐに動揺し
かけがえのない存在として
自分自身を大事にして来なかった私には
神はちょっと怖い・・・存在でした

だから私は自分の前に示された目に見えない世界との絆
13年前、私は自らその絆を封印しました

その間私はセラピストとして
人の心を扱う仕事をしながらも 
いわゆるスピリチュアルなこと・目に見えない世界を正面から見ないようにしてきたのです

ところがその後癌になり
干支が一回りした頃 再び私の前に目に見えない世界との絆が示されました

それがドリーン・バーチュー博士の本
(この本との出逢いにも不思議な出来事があるのですが、それはまた追々に・・)
その中で、神は人間を罰しないし判断もしないと書かれてあり
俗物の私としては大いに安堵したものだけれど
それでもやっぱり神さまって、恐れ多いと言うか
校長先生みたいでちょっと近寄りがたい

その点、神のメッセンジャーとしての天使は
私より賢くてやさしくて頼りになる先輩って感じがしたのでしょう
私は天使と繋がりたい
その思いから再び目に見えない世界との絆を取り戻し始めたのです

もし私が生れ落ちる前に
天上で人生のシナリオを書いたのだとしたら
人間だけれど天使のように生きる方法を手に入れること
それを最終目的にしたのかもしれない
なんて大それたことを、心の奥でそっとつぶやきながら・・・
 

大学から現在まで

中国地方の某私立大学・文学部英文学科卒業後
某私立高等学校に英語教師として採用される

高校とはいえ勉強がキライな子供たちの学校で
初授業で冗談のつもりで
「アルファベットは何個あるでしょう」
と質問したら
「13?」とか「32?」とか「25?(惜しい!)」とか・・
『ヤンキー先生母校に帰る』にかなり近い教育環境
肉体的・性的に不安を覚えることも多々

けれど若くて情熱に燃えていたせいなのか、
ここでの2年間は苦労した分
すべて人間的成長の肥やしになった気がする

教科は異なるが 私を含めて男性2名・女性3名の採用があり
人間が苦手・集団活動がキライと言いつつ
よく一緒に食事したり 3泊4日の旅行までやった
いわゆる青春した?時期



2年間私立高校に勤務後
採用試験に合格し 公立高校で教鞭をとる

新採用では郡部のあまり教育水準の高くない学校に配属されることが多く
私も例外ではなく
私立高校と同様アルファベットの数から授業をスタートするような状況に
けれど「教える」ことは好きで
手を変え品を変えできるだけおもしろい授業にしようと努力

自分で言うのも何だが 仕事のできる方だった
ゆえに担任をもたされ
2つの部活を任され
校務分掌(授業以外の様々な事務的仕事)をいくつも抱え込みダウン
ストレス性の急性膵炎らしき症状に見舞われ
1ヶ月間仕事を休む

勉強の面だけでなく生活面でも問題の多い学校に転勤

ここでも担任をもち
遅くまで部活指導を行い
複数の校務分掌を抱え込む

この時期に母が癌で倒れ
1年間母の看護と盲目に近い母方の祖母の面倒を見ながら勤務
1年後 母が癌で亡くなってからは
祖母の面倒と大量の仕事で体調を崩しがちになる
ストレス性の胆のう炎・原因不明のめまいを経て心身症と診断される
同時に拒食症を併発

衝動的直感で公立高校を退職

退職後の計画はなかったが、「やめよう!」というココロの声に従って退職
やはり特別な計画もなかったが
「東京に行っていいよ」
というココロの声に従って上京

同時に退職直前に レイキヒーリングのセミナーで知り合っていた現在のパートナーに
「一緒に暮らす?」
とココロの声を口に出して同居し そこからから正式な結婚へ

フリーランスの通訳に

現在のパートナーと共同生活をしながら
英語力を生かしてフリーランスでセラピー関連の講座や
ヒーリング関係の個人セッションの通訳をやり始める
留学経験のないこと・ネイティブのように発音できないことなどがコンプレックスとなって
ずいぶん悩みながら通訳していた

ヒーリング関連の翻訳本が出版される
時を超える聖伝説』(ボブ・フィックス著)

初めて通訳の仕事で出会った同郷の方(広告・出版関連会社経営)から、突然翻訳の話をちょうだいする
ニュアンスが違う!と何度かダメだしをされながらも
なんとか2年かけて翻訳を完了する

この間に学んだヒプノセラピー・カラーセラピーの個人セッションもスタートさせる


癌と診断され、手術・化学治療を経て現在に至る

現在癌になったことを契機に
自分がなにをしたいのか・何をするために生まれてきたのか
天使や光の存在たちと繋がることでやっと見えてきたところ

誕生から卒業まで

とりあえず恵理菜という人間がどんな風に今まで生きてきたのか
その略歴を示しておいたほうが
今後あれこれここで語る時に分かりやすいと思うので
事実の羅列に過ぎないことだけどとりあえず記しておこうと思います

・8月23日 中国地方の山間部で共働きの両親の第一子として誕生
体重:3200g 身長:51cm 血液型:A型 星座:獅子座


赤ん坊は明け方に生まれることが多いそうですが
私は真昼間の午後12時30分に 激しい雷雨の中生まれたとか
どうやら派手でドラマティックなことが好きらしい
おかげで後の人生は、ある人曰く
「『おしん』みたい。それ全部本当の話?」
なんだとか


・1歳 父親が使い込みをして、以前から不倫していた独身女性と共に失踪

父親とは音信普通のまま成人
父親はてっきり死んだものと思っていたら 4年ほど前に裁判所からの通知により突然出現
当然のことながら大騒動に発展

・5歳 幼稚園入園
父方の祖母のスパルタ教育により
年少組の時から年長組の園児に絵本を読んでやっていた
(二十歳過ぎればただの人以下になりはてるが・・・)
この頃から精神的・肉体的・性的虐待が徐々に始まる

・7歳 公立小学校入学

学校という組織になじめなかったのか
入学してからの1ヶ月で8キロも体重が増え
その後も雪だるま式に体重は増え続け、大学時代まで肥満児として過ごす
(この頃に、自分が醜いという自己認識を得て それが最近まで拭い去れなかった)

・13歳 公立中学校入学

やっぱり学校になじめず
かといって引きこもりになる度胸もなく
1ヶ月に1日仮病を使ってサボることで折り合いをつける
デブで根暗のせいで落ちこぼれと認識される

・16歳 公立高校(進学校)入学

「中学浪人するの?度胸あるねえ!」
地元の一番高いレベルの進学校(ふたつしか進学校はないのだが)を
滑り止めなしの1本で受けると知った同級生の言った言葉
よほど勉強はできないと思われていたらしい

・17歳 登校拒否体験

高校2年の2学期は一日も登校せず
ただし落第する度胸もなく
3学期は一日も休まず登校し何とか進級

・18歳 音楽教師に音大の声楽科への進学を勧められる

「ピアノなら音楽教室でも開けるが、声楽はつぶしが効かない」
という理由で 母親から反対される
今思うと 母ははなから私に音楽の才能がないと思い込んでいたということだが
当時母の言いつけに反抗する度胸はなくあっさり声楽家になる夢は捨てる

・19歳 私立大学文学部英文学科入学

汽車で片道1時間40分の距離を通学
一番勉強した時代であり
初めて自分の学力を正当(以上)に認められた時代
ただしやはり組織にはなじめず
人間関係のわずらわしさにサークル活動(筝曲)も途中でドロップアウト

・22歳 無事4年間で大学を卒業

母親からは大学院進学を勧められたが
「これ以上勉強したくない!」
と、就職を選択
 

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